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2012.10.10 Wednesday

なうなモードはあんがい曖昧

Blogを書く時と話をする時では使っている脳みその回路がずいぶん違う気がする。
対人的なコミュニケーションでは極力辞書に則った言い回しをするのでだけど、
Blogの書き言葉はすべて自分のなかでしか通用しないジャーゴンまみれ。
一つの言葉や一つのセンテンスに多重な意味を持たせてしまい、
複合的で意味が掴みにくい言葉使いをしている。

実はBlogの文章はほぼ脊髄反射で書いているので、
読み返すこともないし、ほぼ脳内再生された語句をキーボードで
転写し続けている感覚がある。
メッセージを伝えるという点では非常に都合の悪い方法なのだろうけど、
そもそも私はそれほど考え込む人間ではないし、
このブログを書きつつも考えているという感じはしない。
考える前のアイディアをつらつらと転写ている。
箇条書きの変わりにリニアな文章でブレーンストーミングしている感じでしょうか。
かといって、すぐ忘れる(ようにしている)ので、
アイディアの芽を膨らませるための・・・みたいなことはない。
個々に書いてることは、どこかでまた顔を出して一つのイベントに結実したり、
自分の活動の方向性を決定づけたりするけど、
そこまで自覚的に戦略を組み立てているわけではないです。

フォレストリミットはオルタナティブスペースだ、と初心に思い帰っとき、
オルタナティブってなんだろう?と考えたら、それはやはり「壁を壊すこと」
であって「壁を築く」ことではない、と思い当たりました。
(先輩との話で気付かせて頂きました)
では、ただ壊すだけなのか?と問われたらそうかもしれない。
でも、壊すこと自体が目的ではないです。
「壁を壊す過程によって生じる運動エネルギー」こそが重要だと考えています。
そのエネルギーの使い道こそが重要であって、
オルタナティブなアティチュードをとりますが、
その先のことを考えないと立ち行かなくなります。

さて、先のことを考えると、とたんに私の思考は停止します(笑)
三日先のタスクや、イベントに関わるあれこれは考えつくしますが、
もっと大局的な枠組み、例えば10年先のビジョンを考えると、
ちょっとよくわからない。

いま・ここで発生していることは極力考えを巡らせて分析しますが、
その事象とて複合的な要因によって成り立ってるのであって、
それほど割り切れるものではない。足下もぐらぐらで、
お先も真っ暗(というとネガティブですので「灰色」としときましょう)

現実は実に胡乱ななものであるなぁと切なくなりますが、
気負ってこれはこうあらねば!と絶対的な主義信条を掲げる
のは少しムード的に違うし、もはやそのようなことはできない。
立派な日和見主義者になったんだな、と10年前の自分にあったら
殴り倒されるような気がしていています。

この日和見主義というのは、ある種の中立的な立場をとらせます。
リベラルといったほうが少し通りがよいかもしれません。
個人的な話ですが、若い時分にはずいぶん強引で恣意的な解釈を
現実に適用させようとして、それが叶わず悩んだ時もありました。
拡大解釈すると、それは時流だとか文化状況に対して
距離があったともいえるかもしれません。逆説的ですけど。
私の場合、「これはかくあるべき」が強すぎて、
自分のおかれている状況がよく理解できない(理解しようとしない)態度
に繋がっていたと思います。
10代なら10代なりのリアリティーを生きていたわけですから、
その状況下での現実はあったわけですが、
スジもものも良く知らない頃合いでしたから、
「現実」に起こっていることについてはそれほど興味が湧かなかった。
経済原理に組み込まれていなかったのは大きな要因だと思いますが、
さりとて今でもそれはたいして変わらないような気もします。

さて、良い感じにおっさんになった私ですが、
すごく物わかりは非常によくなりました。モノを良く知ろうとという態度も
ずいぶんでてきました。
若造のときよりずいぶん勉強しているという実感がありますが、
その勉強が実に現実に役立っている。
これは若い時に勉強だと意気込んで空回りしていた状況とずいぶん違います。

まぁそんなこんなで日々勉強しながら、
自分自身を律している日々なのですが、
それでけっこう手一杯でなかなか先のことまで考えが回らない。
でも、そこは時流も流動的であると割り切って、
様々な試行錯誤と実態のある悩みに煩悶しながら
がっつきながら生活しています。
現場現場と慌ただしい日々ですが、
その充実した日々のなかに若干の不安がよぎります。
それは、やはりあまりに大局的な先のことが見えていないことに元凶がある気がします。
現場主義がもたらす快楽だけでは乗り切って行けないな、
と思いながら、そろそろ「時流も流動的である」という
認識に対して一本杭を打ち込んでその先のことを考える時がきたと
結構危機感をもっています。

この三年位、現場主義に徹しましたが、
そのおかげで見えたことを一歩引いて捉えないと、
どんどん窮地に向かって進んでいるような
息苦しさがあります。
先がみえないといいながら、いま・ここの現場主義が
その先の10年をつくることは明確ですので、
引き視点とのめり込み視点の両軸をちゃんともって
活動していきたいとゆるゆる考えています。

というわけで、次のポストは「ネットがもたらした新たな戦後」
について書きたいと思います(が別のことになるかもしれません)。
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