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2011.08.31 Wednesday

中間領域での満足

前衛運動が銭に窮するは、前衛ある故にフォロアーが少なく、
経済的基盤が脆弱だからだ。
少なくともそのように仮定してみる。

もう一つの特性として、前衛はこだわりが強いほど経費は増加してしまう。

両者に対する考え方として、私は中間領域の拡張ということを考えている。
メジャーに対するマイナー、マイナーに対するメジャー。
その境はきわめて曖昧ながら、峻厳と存在する境界がある。
私は、その境界をより広く太くしたいと考えている。

グレイフィールド(中間領域)に意識を集中することで、
マイナーな運動がもつ可能性を変に歪めることなくみれるし、
メジャーな力がもつ巨大故の矛盾や無駄を節約できるマージンをみつけることができる。
(マイナーな領域の経済基盤を押あげるのが最大の目標である)
(つまるところ、上質でマイナーなもの、の顕彰が重要な任務であると考えている)
(メジャーに対する『インディーズ』という場合、たぶんにミニメジャーとしてのインディーであり、メジャーをスケールダウンしたものにすぎない場合が散見される)
(そのインディーはミニメジャーとしてメジャーにスポイルされるための
温床にしかなっていない場合が多い)
(フォレストリミットは『インディーズ』ではない。だが、インディペンデントである。
インディペンデントであり、マイナーでありメジャーのマイクロ版ではない)
(よってミニメジャーとしての振る舞いはとらず、インディペンデントとしての
矜持をもつ別の行動規範と経済原則が必要だと考えている)

単純に経済原則のみを優先して考えない。
クオリティーだけを考慮して動かない。
とりうる選択肢は、クオリティが保証された妥当で筋の通った収入を確保することだ。
極度に豊でも貧困でもない文化生活を考えたい。

閑話休題。
国民総中流化などという言葉があった。
あの時代は幸福だっただろうか?
貧困と富の距離はますます乖離していくようである。
富むものは奢り、貧しいものは怒り悲しむ世界になるのだろうか。

実際のお財布事情もあるだろうが、
私は中間帯域の文化生活を考えている。
重要な考え方として、現実的即物的な経費は案件の大小と正比例する傾向がある。
ただ、そこにおいて営業や運用に対する心意気や気遣い、
もっと拡大していえばイマジネーションなどは制約足り得ないケースが多い。
マンパワーこそ経費がかかるものだが、マンパワーほど数字で表すことが
できるものは少ない。
なにがいいたいかというと、心や魂で解決できたり改善できるのりしろが
あるなら、そこは全力を投下したいと考えている。

利益の分配については、汗をかいて働いた分だけもらい、
前提として汗を流して楽しんだ分だけお金を払えばいいのだと思う。

ナパーム片岡
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