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2011.04.25 Monday

マイナーポエット〜あるいは魂の不在

フロアは静寂に包まれていた。
いや、実際のところ音は鳴リ続けている。
音に抱きしめられるように、安息の気分で満たされ、
意識は緩やかに深沈していく・・・。

しかし、なにかの異物感を感じる。
馴染めない何か、交わりきらない何か。
具体的に指し示し、明示し得ない何か。
恐れの感情を惹起し、人を不安足らしめるなにか。

しかし、その安息と不安の混合は、完全に分離し、
二者択一のどちらを選択できるのではない。

安息と思えた空間も、恐れが侵入するから危険なのではなく、
安息という状態そのものが、危険性を孕んでいる。
おそらく、ある確信は(存在しうるはずの)別の可能性を排除する。
その構造自体を、暴力の名で語ることも可能である。

明確な暴力を私は嫌悪するが、
隠蔽され、無意識下に働く暴力を私は恐れる。


世の中には、沢山の便利な言葉が存在していて、
人は様々な使い方をする。
でも、同じ言葉でも人によって重さや軽さ、
強さや弱さが変わってくる。
人物との距離と人柄によって大きく語感が左右される。
それは音楽においても同じであると私は信じている。
そして、それは演奏者だけ話ではなく、
DJにおいてもいえる。

テーリさんのDJは過剰な主張が含まれているように感じた。
テクニックも選曲もハイコンテキストなのだ。
テキストの読解をするためのエフェクターの多用、過激なアイソレーター(EQ)
の設定を行い、個人的なパラグラフを構築していく。
それは、テーリさんならではのパラグラフだ。

その物語は、まる良質なでマイナーポエットのごとく美しい。
全体を理解するのではなく、たまに現れる共振点に深く感銘をうけ、
拭いがいたいほどの共感と感動を覚える。

もとより伝わりにくいことなのだ。
伝わりにくいことを伝わりにくい方法で実践するに、
マス的な波及効果は薄い。
しかし、メッセージに共振した人の魂は、激しく揺さぶられる。
伝わる人には伝わる(だが理解できないものはまったく理解できない)。
コミュニケーションの真実である。

テーリさんのDJに真実をみた(というのは言い過ぎかもしれないが・・)。
だがそれは私の極個人的な真実である。
その真実は現れては立ち消え、消えては現れてくる。
真実を感じさせるノード(接合点)の場所こそが、
魂が完全に不在になった場所(瞬間)なのだろうか?

ナパーム片岡
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